若かりしころ、流行っていた気がする西加奈子 作「さくら」の感想を書いていきます。可愛らしい老犬さくらを軸として、ある家族の崩壊と再生を描いたストーリー。


 多くの共感を集めるだろう内容で、こういう作品はもっと大事にされるべきですね。その一方で、個人的にはもう一歩のりきれないところもあり……なんというか、スラングを使って言ってしまえば、陽キャと苦難という気もするんですよね。


さくら (小学館文庫)
西 加奈子
小学館
2007-12-04





 本作で登場する家族は、たいへん幸せな関係を築いています。内省的だが慈しみ深い父。おおらかで包容力のある母。とてもラブラブです。


 長男はヒーローとして描写される、人気者の秀才変わり者だが絶世の美少女な妹。そう来たら普通はグレそうながら、穏やかで思慮深い“僕”。兄弟仲はとても良好と。



 こう書くと察しのいい人は勘付きそうですが、そこで兄がばっさりと死んでしまうわけですね。完璧だったはずの家族は、すきがなかったからこそポッカリと空いたスキに耐えられず、空中崩壊してしまう。


 けれど時が流れ、一人ひとりのもがきがふとした瞬間重なって、また時間が流れ出すと。こういう話はいいですよね。辛いことがあっても、前を向けるという話をいつだって人間は求めています



 ただ、主題自体はよくある形ながら、その組み立てには眼を見張るものがあります。上述のような主題を考える場合、兄がいなくなった後の話こそメインとなりそうですが、本作は違います。


 文庫本のページでいえば、全400ページのうち300ページ弱。終盤に入るまでのほとんどを、過去の回想に使うのです。


 いろいろ問題はあったけれど、おおむねうまく流れていた家族の時間思春期らしい青々とした経験の積み重ね。それらをたっぷりと描写した後だからこそ、兄の死が脇腹へのデッドボールのように突き刺さります



 しかしそうすると、尺が短く結末が薄くなりそうなものですが、その段階での飛躍がすごい。じっくりとためていた伏線、暗喩、舞台道具の数々を開放し、怒涛の展開で結論に不時着します。


 乱暴ながら説得力があるんですよね。どこがどうとか言い出すとネタバレになるのですが、このための犬、このための擬人化だったのかと……。論理でなく一つの主張を為せる、物語というやつの醍醐味を感じられると思います。



 ただ一方で、だからこその反感の余地もあります。いや私がひねくれ者なのかもですが、やっぱ無理やりだと感じてしまう人もいる……はずです。


 本作の主題の大枠は、理不尽な苦難とそれに対峙させられた人のあり方です。作中では、神様が投げてくる“悪送球”と形容されるこの問題ですが、古来よりよく取り上げられるテーマです。


 この難題に対して、本作がたどり着く答えはとっぴなものではありません。むしろよく練られた、味わい深いものと言えます。



 けれどどうしても、描写の力強さで勢いよくたどり着いてしまうがゆえに、少しひねくれた気持ちになってしまうのです。悪送球なんてない。もしくは捕球のしやすさなど超越して運命は美しい。いや本当にそうなのかと。


 考える葦の一本としては、不条理との対峙において、物語性だけでなくいくばくかの論理も欲しいのです。特に普段から悶々としてる葦としては。


 実はそれと絡めて、本作に登場する兄弟が、おおむね力強い自我をもっているところも集中できない理由です。他人の心の機微に動じてしまう、陰キャとしては怖い人達ですしね。特にミキは怖い。ほんと、お兄さんたちかわいそ過ぎる……



 以上が内容面ですが、あと描写面と絡めて妙にエロいというのも特徴ですね。村上春樹ばりに唐突にセックス・自慰します。ふいに訪れる孤独ばりに、ふと生々しい。


 ただ軽薄な感じはなく、作者の軽快な筆致とあいまって、非常に好感を残す描写が多いですね。思春期の上澄み液をトニックで割ったかのように、甘ったるいはずなのに爽やかで後を引かない。


 青春がいつもかくあればいいのにと思います。たぶん、そのあたりも共感できない理由なんでしょう。主人公も含めて、やたらモテる側の少年少女たちなので;



 「さくら」についてはそんな感じです。良い中編ですし、特に構成の躍動感に関しては特筆するべきものがあります。テーマも健康的老犬さくらの朗らかさに、前編を通して癒やしが得られるのも良い。


 ただ小説に一種の根暗さ、湿気の多さを求める人には、やや没入できないこともあるかもしれません。小説を読む層というのが、得てしてそういう人が多いということも含めまして、ですね。


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