「めぞん一刻」、題名は聞いたことがあるのではないでしょうか。1980年連載開始と、確かに古い作品です。しかし、その魅力はまったく色褪せないように思われます。


 多彩な人物が織り成すラブコメディ。上京した先で、面倒見のよい年上の女性と出会うというロマン。けれど、この作品の本当の面白味は、作者:高橋留美子の“女のロマン”にあるような気もするのです。


 嫉妬や意地はり、ゆれる気持ちへの戸惑いを超えて、やっと結ばれる物語なんど読んでも味わい深いですね。恋愛マンガならまずこれだと、強くおすすめできる作品です。



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 時計坂にたつ、おんぼろ木造アパートの一刻館。あまりに個性的な住民に囲まれ、浪人生:五代裕作は、勉強時間の確保すらままならずにいた。


 そんな一刻館に、新しい住み込みの管理人:音無響子がやってきた。響子にひと目で恋に落ちた五代は、一念発起して一人前になろうと奮闘するのだが……響子はその実、未亡人だった。


 1年前、大恋愛の末に結ばれた夫を亡くした響子。いまだその心は亡き夫にあり、そして死んだ人間はいつまでも、美しい姿のまま心に残り続けている。果たして五代の恋路に希望はあるのだろうか。


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 伝説的な筋書きといっても過言ではないですね。うら若き未亡人と、年下の若者とのラブロマンス。実際の年の差は二歳に過ぎないのですが、人生経験等も踏まえて、五代くんのほうがかなり若い印象です。


 地方出身のモテない(貧しい)男子学生にとって、こういう妄想は定番だと思うのですが、今だと通じないのでしょうか。ともかく、まず男の子の憧れにとってストレートであること。それが本作の第一の魅力です。


 一方で、そこだけで終わらない、深入りはしないけれどもっと深みがある、というのが高橋留美子ヒロインの面白さですよね。ラブコメヒロインのイコンであり、けれどまったく“都合の良い”女性ではない。そのあたりが、本作の真の魅力であるように思われます。



 さて、一つずつまとめていきましょう。本作の大まかな作りは、シチュエーション・コメディーと呼ばれるものです。基本的には一話完結。各話の中にネタがあって、オチもつきます。


 当社は“非常識の塊”と揶揄される、一刻館メンバーのドタバタが主題となる予定だったこともあり、ベースはコメディというのは一貫しています。突拍子もない回もけっこうありますね。温泉行ったり、野球したり。


 そのあたりの内容は安定していて、腹を抱えて笑うほどではない。けれどほっこりしてしまいます。そんな肩の力の抜けたギャグが持ち味ですね。そして次から次へとネタを投じるために、登場人物も山のように増えていきます。このあたり、作者の創作力は底なしなんでしょうか。



 まいど同じようなトラブルが起こって、同じような結末を迎える。メリーゴーランドのような繰り返しではあるけれど、メリーゴーランドのように不思議と飽きずに見ていられる


 ただそれでも、陳腐さを感じはするでしょうか。同時期に連載されていた「うる星やつら」と合わせて、あまりに成功したラブコメであるため、影響を受けた作品がありすぎるというのもあります。


 そのあたりも合わせて、作品自体に鮮烈な印象を受けるというのはないやもしれません。やはり良くも悪くも“ずいぶん古い”作品ではあります。興奮して読む本ではないでしょう。



 それでもです。なお本作には、他作では味わい難い感動があります。それは、本当に繰り返し描かれた心情描写と、その積み上げがなければけっして描くことはできない、大きな恋の結実です。


 五代くんの恋は、未亡人への恋です。ちょっとやそっとのことでは、その心に届くことはできません。また五代くん自身もけっしてスマートな人間ではありません。美人で気立ての良い管理人さんを狙おうなど、そもそも“身の程知らず”であるでしょう。


 金持ちでイケメンで押しの強いライバルもあらわれます。また物好きなことに、そんな五代くんにぞっこんになる、別のヒロインもあらわれます。前途多難なのです。問題しかないわけです。


 けれどそんな恋路を、本作はいっさい特別な展開を持ち込むことなく紡ぎあげました。あくまで日常の結実として、日々の感情の揺れ動きの先のものとして、大恋愛を描ききったののです。



 どういうことか。もちろんラブコメですので、恋の急展開が繰り返されます。ふとしたきっかけでいい雰囲気になりかけたり一途さを疑われるような誤解を経て険悪になったり(ビンタが飛んだり)。


 ライバルが管理人さんとあわや、という展開も何度もありますし、五代くんが別のヒロインともう少しで、という展開も繰り返されます。確かに波乱万丈、特別な展開だらけの恋のようでもあります。



 ただ本作のそれらの展開は、けっきょく全て邪魔が入ったり住民にチャカされたりと、なんとなく有耶無耶になって流れていきます。落ち着いて振り返ってみると、この出来事が展開を決めたというほどの、致命的なイベントはないのです。


 実際、本作の登場人物の心の移り変わりは、読み取り難いところがあります。特にヒロインである音無響子さんの心情変化は、いつ頃から節目をむかえたのか、いまだに議論するサイトが散見されるほど。わかりやすい、運命的な出来事を契機とするような、シンプルな恋路ではないのです。


 けれど、だというのに、読者はこの恋の物語に、必ず深く納得させられると思います。ひとつひとつの積み重ねが、じっくりと説得力を持っていくような。そんな、素敵な恋物語なんです。「めぞん一刻」は。



 その厚みを担保していると言えるのが、本作が勝ち得た人気と長期連載、そして時間の流れ方です。デビュー当時から天才と言われた高橋留美子ですが、本作もまた看板作品として長期にわたって連載されています。


 (少し脇にそれますが、当時の高橋留美子は「うる星やつら」の連載中で、いわば少年誌・青年誌の両方でヒットを飛ばしていたと。しかもこのとき20代です。すさまじいですね……)


 そして物語もまた、この長期連載と時系列を同じくして展開されたのです。その期間、なんと7年余。時系列的なインターバルを挟むでもなく、世代変更をするでもなく。積み上げられた7年という期間は、そのまま物語と登場人物の厚みに直結しています



 例えば五代くん。彼はここまで述べてきたように、ちょっと優しいというだけが取り柄の、冴えない男子です。そもそも冒頭で浪人生ですし、不真面目大学生を経て就職も苦労しますし、その間他のヒロインのほうへとふらついたりもしています。


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 けれど7年を通してみると、本当にいい主人公なんです。けっして超人的ではないけれど、おおらかで包容力があり、最終的には一途でした。別になにか突出した描写があるわけではないのですが、読者はそれを納得できるのです。


 そんな彼が紡いだ恋路も同様です。特別なことをしたわけではないけれど、きっとこの二人であればいろんなことを乗り越えていける。それはきっと、消すことなどできない美しい思い出の後であったとしてもと、染み入ってくるわけです。


 (ただ、伝説的な回とも言える『桜の下で』だけは特別なことですね。でもけっして偶然ではない、五代くんにしかできない、必然の特別だと思うのですが)



 ある意味物量勝負な作品です。けれど、単純なコメディーの繰り返しのように見えて、ほんの少しずつ心情描写や関係性を深めていって、いつのまにか物語を深化させてしまっている並大抵の技量では描けないでしょう。本作が“マスターピース”と銘打たれているゆえんですね。



 そしてこの深まりは、本作の最大の魅力だと思われる、音無響子というキャラクターの個性を、極めて多面的なものにしています。彼女はけっして、属性を真似れば再現できるような、シンプルなキャラクターではない






 美少女キャラの草分けとも言われる彼女の魅力には、わかりやすさもあります。たおやかなたたずまいで気立てがよく、日本サブカルチャーの大和撫子像を代表するキャラクターでしょう。


 一方で快活さと意思の強さもあり、また男心をくすぐる鈍さや幼さもときに併せ持つ。ことさらに主張はしないけれど、事実としてプロポーション抜群の美人で、運動神経も優れていて。彼女を超える理想の年上ヒロインは、なかなか登場しないでしょう。……しかし、果たして本当にそうでしょうかと。



 ここが本作の憎いところです。7年という歳月は、彼女のダメな部分をことさらに表現していきます。確かに彼女は、亡夫に操を立てる純真な女性です。しかし、次第に他の男性へと惹かれていくのは健康的なこととして、その過程が凄まじい。


 口ではもう再婚しないと言いながら「言い訳しないで」「嫌いよ」「あたしのことなんか」というキツいワードを振り回し、数ヶ月に一回は平手が飛ぶ他人にはハッキリしてとガミガミ言いながら自分は2人の男性を何年間もキープしていたと言えるわけです。


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『ろくに手もにぎらせない男のことで、泣くわわめくは、どうなってんの』

 作中で私が特に好きなセリフですが、まさにこれですね 笑


 嫉妬深い、ズルい、思わせぶり、面倒くさい女。すべてよく言われる彼女の評価です。上述の崇め奉るかのような紹介文と、あまりに対照的ではないでしょうか。音無響子という人物は、本当に多面的です。


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 しかしだからこその魅力であり、だからこその幅広い人気だと思われます。空想じみた魅力を有しながら、本当に誰でも持ち得るような当たり前の短所を、人間臭さを持っているそんな自然さを、7年かけて描いていったのですから、他にはないヒロインとして成立したのでしょう。


 またその人間臭さには、作者:高橋留美子が織り込んだ、女のロマンのようなものを感じる気がするのです。ありのままに魅力的でいるけれども、まったく完璧な人間ではない。そんな自分を、けっして諦めず一途に想ってくれる


 すでに恋物語のような鮮やかな一生の恋を経た、誰かへの想いを残した自分であるけども、そんなところも含めて温かく受け止めてくれる。そんなパートーナーを、容姿でも経済力でも学歴でも家柄でもなく、ただ真っ直ぐな想いただ一つを大事にして、選びとる


 こんな浪漫はないでしょう。ブログ主にはわかり得ないところもあるでしょうが、私はこれこそ女の浪漫と言い得るのではないかと、実は思っています。そんな憧れが込められているからこそ、本作は単なる男性人気の作品に終わらなかったのではないかと、そう考える次第です。



 長くなりましたね; 他の部分をまとめて締めていきましょう。古さがけっして短所でないというのが、内容とキャラクターでまとめたところですが、画風はそうとも言い切れないやもしれません。


 いや、一つの時代を築いたとも言える漫画家の画ですから、もちろん良いんですよ。ただ、流行の移り変わりの激しいサブカルチャーにおいて、40年前の作品のタッチを同じく可愛いと思えるかは別問題であると。


 特に中盤にさしかかる頃までの、劇画風の作画に、古さを感じない人はさすがにいないでしょう。そのあたりに取っ付きにくさを感じても、ぜひ中盤まで粘ってほしいところ。



 一方で7年間の連載の中で、作風もガラリと変わっていくのですが、終盤の絵柄はいまなお通用する可愛らしさだと思われます。劇画的な線の強さも残しつつも、ほどよく丸くデフォルメされ、非常にキュートです。


 あと時代が移り変わっても、抑揚の取れた描き込みと、多人数が登場してもしっかりまとまった配置などは、変わらず優れたところだと思います。普及した効果音の入れ方や、ギャグ的な構図とのバランスなど、見るべきところは他にもありますね。



 以上が「めぞん一刻」のレビューです。本当に好きな作品ですね。この記事を執筆するにあたって、もう一度読み込みましたが、やっぱ良い作品です。


 味のある人間模様が好きな人には、太鼓判を押しておすすめできる傑作です。男女ともに楽しめると思います。



 全161話と長編ですが、小学館文庫版などは手に取りやすく、場所も取らないので書籍でぜひに。あとアニメ版との比較ですが、原作のほうを押す声はわりとよく聞きます。


 どうもアニメ版では、音無響子さんの人格がだいぶアク抜きされてしまっているらしく、それだと作品の魅力は半減するのかもなと。ただ全話見たわけではないのですが、島本須美ボイスの管理人さんはあまりに良いので、そちらはそちらで良しですかね。あと、OPの「悲しみよこんにちは」は、いやちょっと良すぎるでしょうと。


 そのへんも含めまして、手に取りやすいところから知っていただけましたら幸いです。では、いかおまけです。








 さて、あと語りたいことと言えば、なぜ三鷹ではなく五代なのかですね。三鷹は典型的なライバルキャラとして登場しますが、連載を通して読み込めば、彼が単なる軽薄なイケメンではないことがわかります。


 押しは強いとは言え、音無さんへの思いは一途でしたし、身を引く決断も含めて愛が深い男だったと思います。一方でなんだかんだ五代への親しみも深く、励ましたり見舞いをしたり殴り合いの喧嘩をしかけたり。(スーパーセレブな三鷹が、五代なんかとケリをつける必要はないのです)


 友情すら失いかねないゆえに、明白な告白をすることは怖いとこぼすシーンもあったりと、いがいとナイーブな一面も持ち合わせています。いい男ですよね。音無さんが三鷹と結ばれる結末というのも、十分有りえたと思います。



 けれど彼は、最初から最後まで戦略を誤っていました。それは彼が、常に五代のアンチテーゼとして振る舞い、本当に戦うべき相手を間違ったということです。


 要するに、惣一郎さんと向き合おうとしなかった。向き合うことが最も重要であると、気づくほどの踏み込みは持ち得なかったということですね。


 五代くんなんて相手にならないと言いながら、彼はいつも五代のことを気にします。「五代くんなんかより」「また五代くんを」「五代くんの代わりじゃないですよね」……まぁ、こんなことを言ってると負けがこみますよね。



 ただもっと本質的に、これからの恋愛がどうこうではなく、いまだ響子さんが傷心であるというところに、立ち入りきれなかったのが三鷹であると思います。彼は未来の話はよくしますが、過去のことは話しません。それは明るく前向きなことではありますが、響子さんの心に寄り添うものではなかったかもしれない。


 たいする五代くんは、最後の最後まで惣一郎さんと向き合い続けました。惣一郎さんこそが、響子さんを過去にとどめている最大の理由であり、またその感情をどうこうしようなんて、他人はできないかもしれない。そう悩んで、ずっと待って、そばにいたわけです。

(なんせ五代くんは、響子さんが惣一郎さんのことを想っていると考えただけで、勃たないような男なんですよ! ベッドの中の管理人さんを前にして! 身体じゃなくて心で愛なんです!)


 そしてだからこそ桜の下での、逆転ウルトラCのようなプロポーズを言えたわけですね。この場面を超える告白のシーンを、寡聞にしていまだ知らずという印象です。こんなふうな一言を、誰かに対して言えるような優しさを持っていたいものです。


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 しかしそう考えてみると、穏やかではあるけれども、最終的には不器用で相手に対していま一歩手を伸ばせない三鷹と音無さんとでは、うまくいかないところもあったのやもしれませんね。


 そのあたり、マイペースなようで相手の心にすっと手を伸ばせる、九条との婚姻は幸せなことであるように思います。きっと二人は幸せになると、きちんとフォローをかかさないあたり、高橋留美子のあたたかな作風ですよね。


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