感想レビュー(草原に吹くこえ)

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江國香織「流しのしたの骨」

 本作を楽しむには、変なものを変というだけで面白いと思える、素直な感性が必要かもしれません。なにか意義とか気づきとか、日常の中にも普遍を見出したい人には向かないやもです。


流しのしたの骨 (新潮文庫)
香織, 江國
新潮社
1999-09-29




 物語はある一家の日々を描きます。3姉妹に弟、父母という構成です。語り手は三女で、19歳の無職ちゃん。みな普通なようでいてちょっと、ある部分においてはかなり平均からズレています


 いわゆる家族の日常を描いた作品で、特にこれだという筋はありません。それぞれに少し変わった理由・立ち位置で人間関係にトラブルを抱えていたり、社会との折り合いがうまくいかなかったりしますが、展開の軸になるわけでもない。


 それは確かに自然ではあって、家族と言っても人生は別々の経緯を辿っています。しかれど家に集えば時間は重なるというわけで、溶け合わないのに混じっている。通時で俯瞰してみれば、不思議な多重合奏となるわけです。シンフォニーにはならないわけですが。


 そういう魅力に関して、本作はとてもよくまとまっています。感性が独特ですしね。日中化粧をするのに父の帰宅に際して顔をしっかり洗う母とか、突然他人の赤ちゃんを引き取ろうとする次女とか、面白いのかもですね。



 ただ別にと思う人もいるかもしれません。独特な感性というのは、ズレた感性に見えることもありますし、もっとあざとい逆張りに見えることもあります。


 世間に順応できない“美少女”ならば、ルッキズムとも合致するものですが、それがやや妙齢で冴えた容姿と感じられない人物なら、不思議ちゃんを持て余す気持ちも湧いてきます。面白いではなく痛々しいと思うなら辛いでしょう。


 それを補完するかのように湧く主人公のボーイフレンドも、やけに実在感がありません。ラーメンの油の臭いがしなさそうな男子大学生なんて、そいつはきっと虚構の中にいます。




 以上のように、悪くはないのですがオススメはしにくい作品です。江國香織分を接種したいのなら、「きらきらひかる」のほうが短くて胃もたれしない気もします。


 あと小動物を買っていて、愛着を持っている人にはことさらに注意です。残念なことに私がそうで、また無粋な真面目を抱えてもいますので、キレそうになりますよね。名前は素敵なんですが。(デュークが好きだったんですが、ふと彼もけっこう雑な飼い方されていたことに思い至ってしまった……)


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「孤独のグルメ」-食事をとるうえでのダンディズム-

―――――
モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず 自由で

なんというか救われてなきゃあダメなんだ

独りで 静かで 豊かで……


(久住昌之・谷口ジロー、扶桑社、「孤独のグルメ」より)
―――――


 たった一節。本作はあまりテーマを語る作品ではありませんが、この台詞はわかりやすいでしょう。でも、味わいは読んで確かめてほしい。通な漫画と言われる「孤独のグルメ」ですが、多くの人が共感できる内容だと思います。






 本作はグルメ漫画に類されると思いますが、他作と比べても、全体を通して描かれる物語はあまりありません。個人貿易商の井之頭五郎が、行く先々で食事をとる、その顛末を描いていくだけで、他の要素はかなりストイックに排されています。


 もちろんのこと短編形式で、描かれるグルメや店の選択についても、特に一貫したものはありません。あくまで一期一会。出先で食事をとることになって、なんとなくおいしそうなお店に入る、それだけの話です。




 「ハードボイルドな食の美学を味わい尽くせ!」。このキャッチコピーもまた、本作をうまく言い当てている気がします(!マークは“うおォン”な焼肉回以外には過剰な気もしますが)。井之頭五郎は商売柄、独りで食事を取ります。だからその食事は、出された料理と静かにに向き合うものとなる。


 料理の旨さを堪能し、なにを注文することが一番の正解なのか、どういう段取りで食べていくことがベストなのか。本気というと堅苦しいイメージがありますが、それを抜きはらった意味で、食事と真剣に向き合います。




 ただ注目すべきは、その行為がまったく素朴ということです。例えば料理の良し悪しを測る際に、素材がいかに素晴らしいか、調理の技術がいかに優れているかがよく語られます。


 そしてその判断基準をもとに料理は支配され、明確な序列をもって評されます。しかし井之頭五郎は、そのようなことをほとんど気にかけません。




 その時その瞬間において、ただ自分の感覚で感想を独白することしかしないのです。

「いいものだ」

「うまい」

「がーんだな」

 などと述べるだけ。グルメ漫画としては、あまりに淡白やもしれません。




 しかしよくよく考えてみれば、素材・調理技術は料理を構成する最大要素である一方で、実際にモノを食べるという段階においては、もはや過程でしかありません。


 さらにいえば、料理そのものと向き合おうという場合には、ノイズであるとすら言えます。高級食材だろうが場末の居酒屋の料理だろうが、うまければうまいし、うまくなければうまくない。庶民的といえばそれまでですが、井之頭五郎の食事は真摯です。




 その一方で、本作にはもう1つ珍しい特徴があります。それは多くの料理漫画において、上記とは逆にノイズとして扱われる、周囲の環境を積極的価値として扱っていることです。


 料理が中心的に描かれるのはもちろんですが、井之頭五郎、周囲の状況を非常に気にかけるのです。店の雰囲気であったり、つめかける客の様子であったり、彼は様々なことに思いを巡らします。


 また環境といえば、食事をとるうえでの心境も大きな要素です。例えば井之頭五郎は、料理と孤独に向き合う一方で、そこから過去を想起してセンチメンタルになったり、自分を何かに投影して浮かれたりすることもあります。


 料理を通して思い浮かぶ、料理自体とは関係のない想い。しかしてその想いに料理はもちろん左右される。その良し悪しも含めて、彼は食事を楽しんでいるように見えます。




 いわば彼は、料理をそのものとしてだけでなく、その場に流れる時間と空間と想起も含めて、一緒に味わおうとしているのです。つまり料理の味とは、それを取り巻く環境に則って食べることによって、極めて有機的なものになると。


 私たちは食事をすることを避けられません。金欠の大学生だって、時間に追われるサラリーマンだって、逆にどちらにも余裕がある人だって、なにか食事をとらなくてはいけない。ゆえに、そこに意外なまでに人生が映り込む


 そこに紛れ込む井之頭五郎という男の人生観や人柄が、漫画という料理において絶妙なスパイスとして効いてくるわけですね。ストイックなグルメ漫画でありながら、不思議と人間ドラマでもある。本作の味わいは、シンプルでいながらとても奥が深い。




 個人的には、本作が描く食事の感覚には強い共感を抱くのですよ。食事の取り方は人それぞれです。軽く流すのも食事、こだわるのも食事。


 とはいえ日常の喜びとして食事を楽しんでいる人にとって、本作は極めて親しみやすいものであり、またありきたりな日々の魅力の再発見に繋がると思います。




 また谷口ジローの手による、緻密な食材描写もまた本作のテーマを裏付けているでしょう。実際にちょっと外食して、同じように光景を楽しんでみたくなることうけあいです。


 一話完結で通時的なストーリー性もあえて廃されているため、キャラクター漫画としてはやや単調かもしれませんが、補って余りあるほどゴローちゃんが魅力的なのもポイントです。誰と分かつこともなく、食のうまさと向き合う中年男性の渋さ、かくありたいですね。


 ちなみに台詞回しに独特の調子があり、カルトちっくな人気を博しているのも本作を有名たらしめている理由の一つです。「それ以上いけない」「こういうのでいいんだよ こういうので」など、聞いたことはあるのではないでしょうか?




 ドラマ版もけっこう人気を博したそうですね。いろいろと楽しめる本作ですので、ぜひおすすめです。


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「イリアス」 ホメロス-血沸き肉踊るの元祖、名誉と高慢のぶつかり合い-

 長かった……。教養人の常識だろうと手に取った、最初にして最大ともいわれる英雄叙事詩「イリアス」。ギリシア世界の伝説の詩人、ホメロスが残した運命と武勇を描く物語ですね。


 いわゆる「トロイア戦争」というやつですが、左近の映画「トロイ」を観ても分かるように、一般のイメージはこうかと思います。


ホメロス イリアス 上 (岩波文庫)
松平 千秋
岩波書店
2018-10-18




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 トロイアの王子パリスは、女神アフロディナとの契約の元、ギリシアいちの美女ヘレネと結ばれ2人は深く愛し合う。

 しかし、ヘレネは既婚者であり、また前夫はミケーネの王アガメムノンの弟であった。ギリシアはこの婚姻を許さず、総力をあげてトロイアへと侵攻したのだった。
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 言ってしまえば、国を挙げた三角関係ということになります。なにかこう、ロマンスあふれる話なんじゃないかと、読む前はそう思っていました。


 しかし実際の話はそうではありません。ヘレネについて作中では、“そういえばそうだったね”というぐらいに時たま触れられるぐらいで、話の主題になることはありません。

 基本的に物語を動かすのは、男たちの功名心と誇り……と、豪華絢爛たる金縁で飾られた言葉で言えばそうなりますが、要するに野心とプライドです。



 そもそもギリシア世界の男性が、女性のために動くことはないというのはあります。古代ギリシアにおいて女性とは、男に付随する他ない存在とされがちです。それどころか、ほぼ“物”として捉えらることも珍しくない。


 相対的に評価できもので、戦利品・取引の材料ともなりうる。同時に男の義勇や名誉の前では、実に下らない、唾棄すべきものとして描かれる。現代の価値観で読んでいると、正直いい気分にはならなかったですね。




 では壮大な“愛の物語”ではないとしたら、いったい何の物語なのか。というと、運命と武勇ということになります。つまりは神話です。


 作品の少なくない部分が神々のやり取りに費やされているのですが、この神々が本当に恣意的にしか動かない。あいつは気に入らないからと街を滅ぼしちゃうし、あいつはよくお供え物くれるしとひょいと助けちゃうし。


 人間がどれだけ頑張っても、神が手を出せばその意志はねじり伏せられ、面白いからという理由で長々と殺し合いをさせられる。なかなか救いのない世界観ですよね。




 オリンポスの神々同士のやり取りも面白くて、互いに張り合ったり根回ししたり色仕掛けしたり。組織としての空気は最悪でしょう。上が下に威張るのは当たり前として、みんな自分が偉いと思ってるから凄く面倒くさくなる。いやはや。


 これが古代ギリシア世界の人々が感じた人生観だとすると、なかなか超克したものがうかがえます。無常観とも近しいのかもしれません。避けがたい悲哀を、逃れがたい死を、神々の気まぐれと捉えれば、少しは楽になるのでしょうか。




 そして武勇。英雄叙事詩なわけですから、煌びやかに戦士が讃えられ、読んでいて一種の高揚感は湧き上がってきます。


 意外だったのは表現が踏み込んでいることで、戦闘シーンの凄惨さは断トツでした。武器は基本的に槍なのですが、その切っ先が向かう先が以上に具体的。


 腹や胸は内臓が飛び散るだけとして、口に突っ込まれて歯がぼろぼろと零れ落ちるとか、首に刺さって延髄が真っ二つになるとか。他にも石を投げれば顔面直撃、目が顔から飛び出すし、剣を振るえば頭が両断、脳髄を撒き散らすとか、けっこうグロテスク。


 基本捕虜は殺されますしね。戦友の墓の前で首をかききるなど。情報を聞き出した後で、トロイア野郎との約束なんて知るかとか言って殺したり。あと命乞いすると大抵ひどい死に方をします。




 というように、けっこうえぐみが強く、また価値観の隔たりも感じるのですが、とはいえやはり面白いというのは否定できません。長編叙事詩、それも何千年も前の物語なんて、なかなかそう思えるのか疑問に思うところです。


 しかし「イリアス」はそうじゃなくて、描写のリズムや展開、物語の壮大さなど、まったく陳腐化しているところがありません。何万回でもリメイクしていいでしょう。


 

 ただやはり、アガメムノンやアキレウスのことは好きにはなれなかったですね。現代人としては、やはり“徳”は英雄叙事詩の重要なスパイスだと思うのです。その点でやはり、教養人を目指すなら必修科目であろうも、強くは人に勧めないというのが最終的な感想です。


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